2015年8月5日水曜日

卒論日記

わたくしの卒論は大きく展開しつつある。

アドバイスをうけての展開である。

全て受け売りになってしまうのはなあ...と思っていたが、
アドバイスをうけて熟考した上で(怪しい)これに決めたので
もうすでに受け売りではないと言っちゃおう。


明石先生という建築家の設計したものが新宿に四つあった。
あああの雑居ビル群の中に四つも。
しかも彼は私の大学でかつて教鞭をとられていた方なのである。

新宿武蔵野館、新宿帝国館、新宿区役所庁舎、安与ビル

このうちエモ文献の中で新宿武蔵野館は死ぬほど出てくる
もうおなじみの、という感じだ。
しかしわたくしはこの武蔵野館はもうないものだと思っていた。

正確には明石先生の武蔵野館はもうない。
しかしだがしかし、彼の武蔵野館のころから全く同じ場所に今でもあるのだ。

彼の武蔵野館は、国民の娯楽として映画がトップだったころに作られた。
新宿にはいくつものいくつもの映画館が作られたが、武蔵野館はその中心的存在だった。
映画業界のゴールデンエイジ、そして転換期(無声映画からトーキーへ)。
その全てを彼の武蔵野館は見ている。この武蔵野館に人々は集まったのであーる。
そして娯楽としての絶対的地位を失ってからも現在は同じ場所に
姿は全く異なれど武蔵野館はまだそこにいるのである。


武蔵野館から続けて、全くのお向かいの敷地に新宿帝国館がたてられた。
これに関しての情報はえらく少ない。
彼の作品集にすら一言もコメントがそえられていない、写真もたったの一枚。
わたくしが現段階で集めた情報は、この映画館が任侠映画専門の封切館だったこと。
それからほどなくして新宿花月劇場になったということ。
戦時中に建物疎開ということですぐに閉館になってしまったこと。

花月劇場といえば吉本じゃ。今新宿にはルミネtheよしもとがある。
新宿帝国館から、ルミネtheよしもとへ。

新宿区役所は60年だいに建築された。
ちょいと情報収集しに区役所へいってみたら、資料コーナーのおじさんがえらい親切だった。
内藤多仲の構造設計だが、このたびの耐震診断で不合格、現在面心工事の真っ最中だという。不合格なんかい。
おじさんによると、区役所は初めからこの位置にあり、現在の建物に立て替える際に
大久保のほうの体育館に事務所を引っ越しして、工事をしたそうな。
おじさんは私にコピー機の使い方まで指導してくれた。サンキュー。



安与ビルと聞いてはてなだったが、その姿を見て「ああ、これか」となる。
JR新宿東口と南口のあいだ、駅舎の真横に隣接しているビルであり
結構特徴的なので記憶にも残る。
夜いってみたら、ええ、なんだか結構きれいじゃない。
わしはこの日明石先生の建物をとりあえず見ようと順繰りにまわって、夜がた
このビルにたどり着いたので結構もうこの時点で明石先生が好きになっていた。

すぐ好きになる。建物の形がどうこうとかより、ほんとわたくしはエモさ重視していて
普段からそうだけども、私情をはさんでものごとを見てしまう。
すいませんけどそういうものなので、でもこれで明石先生を好きになった以上
こっちのもんな感じもしている。
非常に都合がよい。

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