渡辺克己は新宿で、流しの写真屋をやっていた。1973-4年くらいのこと。
二丁目(新宿)に遊郭があった頃から、暗箱でマグネシューム焚いて撮っていた連中がいたわけですよね。僕がその写真屋さんの代写なんかで行くと、「僕も実は遊郭で写していたんだ」なんてね、今は写真館の旦那になっていたりして、しゃべるとまずいなんていうのがいたんですけれどね。(p.60)
遊郭専門の写真屋が結構いたというが、これは一体どういう者のこと?
何をうつすの?
http://lwp-magazine.com/2014/02/06/hirooka-keiichi/
こういうことでしょうか。でもたくさんいたんですよねえ。
夜の商売の人は長時間働くのです。家に帰って、寝てまたすぐ、というわけで、着る物なんかでも買いに行く時間がないから、洋服にしても行商屋さんが来るんですよ。(p.63)
今でもゴールデン街に行くと僕の撮ったパネル写真が飾ってありますよ。(p.63)
それにサブナードなんかができて、街の様子がグルッと変わっちゃったんですね。大量に人が来るようになった道路なんかもきれいになっちゃって、昔は汚い格好して道路に座っていたりして、酒飲んだりなんて結構やっていたんだけれど、全部なくなった。ますます、写真屋というのはダメになっちゃった。/新宿のそういうのは終わりだみたいな、記念碑のような感じで「新宿群盗伝」を出したんですね(73)。(p.63)
サブナードがきっかけですか〜。初めて見る記述。
『新宿群盗伝 1965-1973』渡辺克己(Akio Nagasawa Publishing, 2013年)
http://imaonline.jp/library/photobooks/524a33101e2ffa3563000001/
その後焼き芋屋さんになったのち、写真館を。
お金がたまってインドへいきます。
(中略)インドから帰ってきたら、もう一階ちゃんと新宿を見て置きたいなということがあって、いい加減にしてきたわけじゃないんだけれど、もう少し深く撮りたいなというのが出てきたですね。(p.69)
「新宿群盗伝」なんかでも気になっていたのは浮浪者ですね。(p.69)
これからも新宿を撮り続けるというのは大変面白いことじゃないかと。(p.70)
ただ新宿なんかでもそうなんだけど、弱い者同志いじめっこしたりはするんだけど、助け合いもするね。(中略)僕は新宿の人間に感じるのもそういう事なんですね。温もりがあるという。助け合えるという。いじめもするけれどね。新宿でそういうこと、鍛えられているから、インドへ行った時に、あっそうかと確認できたということです。(p.70)
ここまでが渡辺克己さんのインタビュー。
後半には渡辺克己に縁のあるものたちが思い出を語っている。
ので、3に続く。
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