<秋山祐徳太子によるコメントから>
彼と知り合ったのは新宿に間違いない。たしか1970年代の始めであったと思うのだが、そのころの新宿はあらゆる風俗が入り乱れて怪しげでブッソうな街であった。(p.154)
やはり出会った場所はゴールデン街だったらしい。
<大坪正己によるコメントから>
新宿の高層ビル群がまだできていない頃、その高架下にもぐり込んで、仲間と焼き肉パーティをした。(中略)またある時は、新宿駅東口前の芝生の上でフーテンと酔っぱらって飲み明かした。(p.157)
<永寿日郎によるコメントから>
笑顔といえば、ある午後、新宿の珍しく西口の方でバッタリ会い喫茶店に入った。(p.164)
ここに出てくる「週刊文春」の連載「そして犯人は消えたー事項事件の現場を行く」の話が面白いし、面白そう。
写真屋に注文した人は、バーテン、ホステス、ヌードスタジオの女、ヤクザなどの人たちで新宿を新宿たらしめている主要な一群であった。(p.166)
(ちなみにわてくしとしては確かにそういう人は新宿っぽいイメージではあるがやっぱり実際にそういう世界にいたことが無いので実感は湧かないのである。)
(前略)ナベさんが撮り始めた新宿の地は、今や日本一の高層ビル街である西口に一本の高層ビルも無く(京王プラザ、47F感性1971年)、マクドナルドも無かった(同じく1971年に日本1号店、2号店が代々木)。この二つが象徴的であるが、新宿史を考えれば最も激しい変貌が始まろうとしている前夜であった。(p.166)
他、ゴールデン街の「唯尼庵」が登場。(p.166)
<山本泰彦によるコメントから>
小田急ハルク脇の喫茶店「ピース」(p.167)
渡辺のアパートは、今で言うと、東京医大病院の青梅街道の反対側、路地を入ったところにあった。(p.167)
寺山修司によるコメント(「新宿ー孤独の街 いいひとは、みんなどこかへ行ってしまった」)から
新宿には、ふしあわせがよく似合う。どんなに高層ビルを建てたところで、街の本性が変るという訳ではないのである(p.178)
喫茶店「イレブン」(p.178)
喫茶店「イレブン」に入って、壁に耳を押しつけると、隣の「ピット・イン」のジャズの生演奏がきこえる。(p.178)
何か情報はないかと探したらピカデリーの近くのジャズバー「DUG」の食べログにこんな口コミが。
この感じだと、今はないっぽいね。DUGは先日たまたま行ったけど、だいたいあんな雰囲気だったんだろうなあどこも。生き残る所と、生き残らないところがあるのは何故?
喫茶店「白馬車」(p.178)
「しかし、モーニング・サービスは何といっても「白馬車」が一ばんだね。(中略)二十四時間営業だから、帰る家のない連中はみんな、あそこで夜を過す。テイのいいフーテン・ホテルといったところだが、あんな気分のいい店は、めったにないと思うよ。」(p.178)
※寺山修司が文章の中で渡辺克己の文章を引用したもの
バターが付け放題なんだって。ウフ。
白馬車調べてみた↓
白馬車のマッチ箱が1500円で取引されている、その確かにあった感にわしゃ一々ちょいエモになる。
喫茶店マッチ箱がレアになるというわけだ〜
なんか言ってます。
ゲイバー「オベロン」(p.181)
ゲイバー「オベロン」のトニコさんが〜というところがあるが、トニコさんって今さっきリンクを貼ったブログに写真があったぞ。。。
なんかあったぞ...ぽすぎる。。
インターネットさいこう
インターネットさいこう
新宿はまた、賭博師たちの街でもある。だれもが賭けるチャンスをさがして、ぶらぶらしている。/丸の内や銀座の人たちは資本主義の検討に熱中してばかりいるので、富の生産、流通、消費にもう一つのシステムがあることなど用意に理解できないのだ。だが、新宿は例外的な街である。ここでは人たちが一足先に資本主義の検討などに見切りをつけてしまっているので、自分たちのシステムを造りださない限り、だれもが富にありつくことなど出来ないのだ。(p.181)
南口にある場外馬券売り場(p.182)
ここでどれくらいのショバ代をとられているかを見ると、「新宿っ子たちが、どれほどシンケンに『富の浪費』を考えているか」というのがわかるらしい。
歌舞伎町のジョイパック・ビルの裏のラーメン屋「フクジン」(p.182)
名物が天下一ラーメン、ラーメンの前に福神漬けが出るのが人気。常連はゲイボーイやキャバレーのマスターなど。寺山修司も常連か。
調べたけど無いっぽいです。
新宿には、アル中の犬がいる。私服がきたことを教えてくれる「日」という商売もある。一流レストランのゴミ箱から、食べのこしのエビフライやカツをもってきて、汚れを削って復元して配達してまわる「弁当屋」(p.182)
まじで〜〜〜
コマ劇場の前に店を出す靴みがきの「貴族」は、気にくわないクツは磨かない。(p.183)
なんだなんだ。教えてくれないのか
(前略)新宿が一ばん美しいのは夜明けの直前だ。鳩が都電道路を歩きまわっている。夜の新宿人たちが酔いつぶれ、姿を消しー昼の新宿人たちが、姿をあらわす前の一刻。(p.183-4)
二十四時間営業の「白馬車」を満員でしめ出されたフーテンが、紙袋二つに家財道具一式つめこみ、銀行の石段に腰かけて日の出を待ちながら、数をかぞえている。(p.184)
今は白馬車は、マックかなあ〜
客をホテルへ置いてけぼりにした娼婦が歩いてくる。(p.184)
仁王立ちに突っ立って泣いているフーテンがいる。(p.184)
早くもドアをあけて、店内の止まり木を全部路上に出して水洗いしているバーテンは、これから帰ってゆっくり眠るのである。(p.184)
だが、こうした無類の町新宿もだんだん変ってきたようだ。/警察の数ばかりふえてゆき酔っぱらっても件かもできない、とこぼしているサラリーマンもいた。今では夕方、ドッと駅から吐き出されてくるネクタイをしめた「植民主義者」たちが、飲んで食って歌って、ドッと引き揚げてゆく施設かされたレジャー区域になってしまったのだ。つらいとき、一目にかくれて泣きに行ったボーイたちのための暗闇も、いまは灯りがついているし、ビルとビルのあいだで、野良猫に見られながら立ったまま愛しあった店員たちの逢いびきの暗闇もなくなってしまった。(p.184)
ああなんて素敵な文章
おでん屋が道路交通法違反で追い払われ、「ビル内流しおことわり」の貼紙がはられ、新宿っ子たちにとっては、まったく住みにくい町になった。「サブナードへ入ったら、まるで銀座にでも来たのかと思っちゃったよ」と渡辺さんは言う。(p.184)
言ってたね。自身のインタビューのとこでもいってましたよこれ。
寺山修司(素敵すぎて)たくさん書いてるのでたくさん引用しちゃった。
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