2015年6月18日木曜日

卒論日記 大東京案内2

私の祖母は戦争のあと職業学校に通ってタイピストになり
働いていた会社で祖父と出会い結婚したそうな
もしかしてあの
ー恋の丸ビルあの窓あたり 泣いて文かく人もある
というタイピストの恋愛物語があったのでしょうか
そんなお話ものっています

さて新宿について。

汽車は遠く信州、甲州からの客を運び、山手線、小田原急行線が、それぞれの沿線住民を運び込む。これ等が四つのプラットホームへ集まり、そこから潮の如く階段をなだれ下るこれが即ち新宿駅である。(p.221)

今と全く変わらない新宿駅の本質的な姿が伺えますなー
潮のごとく階段をなだれ下るなんて、新宿駅のエブリデイです
まだ続く

早朝から深夜まで、ここはまことに肩摩轂撃。(中略)しかも新宿駅は、他駅の如くラッシュアワーの時刻にのみ雑沓するのではなく、未明から夜更けまで、歓談なしの群衆の洪水なのである。この洪水を流す地下道はこれまさに日本一の地下道で、都下に日本一は数多くあるが、これほど素晴らしい日本一は他にはあるまい。(中略)で、新宿の群衆は浅草の停滞、上野の遊楽、銀座の漫歩と異なり、すべて流動する人間の集りだ。忙しそうな顔をした急速テンポの大衆だ。(p.221-2)

いやほんと、ほんとにこれです。
「忙しそうな顔をした急速テンポの大衆だ」これは少し前までわたくしも思っていました。
でもこれだけじゃないのが新宿、っていうのを最近気づいたのですよ。
それはまたのちのち出てくるのでしょう。



カフェーって、なんか今の感覚とは違うものでしたその昔。

それだのに人々は、カフェーからカフェーへ、バーからバーへ、女給から女給へ移り移り行く浮気な心を持っている。何故だか理由は分からぬが、人々には四十カフェーが必要なのである。(p.277)

わたくしが最近色々読んでやっとつかんだのは、
要はカフェーは今でいうキャバクラと同じということでした。
カフェーはめちゃくちゃ流行って増えて来たので、特殊なしかけや
工夫をこらしたお店がでてきたり、怪しい営業をするところがでてきたりしたみたいです。

あなたの推しはどちら?

上下とも「ほぼ日刊イトイ新聞」https://www.1101.com/edo/2003-09-29.html
(2015/6/18)


大東京案内では今和次郎オススメのカフェーをいくつか紹介しているわけですが
ここはこれこれのサービスがいいとか、ここはこうであんましだ、とか
今さんけっこうカフェーめぐってたみたいじゃないのよ。
まさか指名とか結構してたんじゃないでしょうね。いいけど。

今和次郎ご紹介のカフェーは。
尾張町のカフェ・タイガーとか。。
「江戸・東京ときどきロンドン」http://tukitodora.exblog.jp/17749616/(2015.6.18)


銀座の船のクロネコとか。。。
浅草のカフェ・オリエントとか。。。

神田よりもっと華美に、豊艶に、カフェーの目に見えて蔓延ってきたのは新宿武蔵野観の界隈一帯である。盛り場だけに、室内の照明や構造にそれぞれ工夫を凝らし、洋装した女さえところどころ店にいて、銀座などより俗っぽくて陽気である。(p.286)

...と、おっしゃってます。
こういうの読んでると新宿の新興な感じとか、なんでもやってみような雰囲気が
どんどん伝わってくるのです。
ちなみに当時の新宿の三大カフェーエリアは先の新宿武蔵野館、三越裏のT字、そして末広通の近くのところ、だったらしいです。

大東京案内では、「カフェー」とか「ダンスホール」とかカテゴリーにわけて
色々な街のその場所と紹介しています。
気になったのは「料理店」の章に新宿は一切出てこないところです。
他のセクションではほぼほぼ出て来ているのですが。

最寄りの小ぎれいなカフェーに飛び込んで友人と食事をとることはあっても、なかなか料理店には入り難いものである。(p.292)

こういう感じの料理店を紹介しているから
少し格上のこぎれいな場所は新宿にはないということなのでしょーか

上巻の最後に今和次郎の東京論

近代都市の尖端に立つ東京は、地理的関係からと、歴史的条件からと、そしてまた現在持っている特殊的な国家的社会的地位からとによって、他の都市が夫々に誇示する特徴をほとんど全部取り揃えて持っているカクテールのような都会である。(p.307)

ところが不思議なことにこの震災はただに名所や旧跡の一部を消滅させて一部を新生せしめたというだけのものではなくて、全東京の持つ性質を根本的に一辺させてしまったのであるから妙である。
つまり、古い江戸文化の遺跡が、部分的ではあれ事実上消滅したのをきっかけに、それと全く相容のちがっている近代的文明の尖端を、そのままに継承的に作り出したことにある。(中略)所謂年中行事や、縁日や夜店やについて見ても、全く画期的な変化に目を見張らざるをえないものがあり、東京名物とかうまいものやなどすらも、古木は亡びて新しいのが栄えるという以外に、市民の嗜好の本質的な変化を具体化しているのである。(p.309)

わてくしは、東京を本質的に変えてしまったのは明治維新だと思っていましたが
今和次郎は、それは大震災だといいます。
それは物理的な変化も含めると、そうなるということでしょうか。

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